マティアス氏は、最も価値あるものの中には、目に見えないものが多くあると考えています。 彼は2016年、フランスの哲学者シャンタル・ジャケの著書を通じて初めて「香道」に出会って以来、その日本特有の儀式文化に対する興味と知識を深めてきました。香道では「嗅ぐ」という言葉は使わず、「聞く」という表現が用いられます。これは単純に香りを感じるだけではなく、その瞬間に呼び起こされる記憶や思考に深く関わることを意味している、と彼は語ります。 本展覧会は、「消えゆく場所の記憶を香りによって継承すること」をテーマとしています。2024年夏に取り壊された日本の中部地方の町家5軒を対象に、その最期の時間を記録し、瓦礫の中からかつての暮らしの痕跡を採集し、断片的かつ詩的に、その痕跡から呼び起こされる記憶や感情を再構築しようとする試みです。 窓の前に展示された作品は「水石(すいせき)※」です。町家の記憶や、想像上の風景を喚起する詩的なオブジェとして、鉱物(石)とそれに合わせた木彫の台座で構成されています。マティアス氏は、町家の解体現場から心に響く石片を選び取り、能面師や漆の塗師から学んだ技術を用い、石片に合わせて台座を彫り漆塗りを施し、自らこれらの水石を作りました。 壁の写真は、町家の解体時に収集した断片です。消え去った建物の形状や歴史を記録し、かつての暮らしや消失の重みを想像させます。 日本の伝統建築は、木材、繊維、紙、土といった有機素材で構成されており、いずれも強い嗅覚的特徴を持っています。マティアス氏は、「消えゆく場所の記憶を香りによって継承する」という本展のテーマと、古民家保存に関する現代日本における議論とに共通点を見出し、香りづくりの場として知られるここ江井浦で発表することに意義があると考えています。 ※水石とは、室内で石を鑑賞し、一つの石から壮大な自然界、大宇宙の真理などを感じ悟る芸術です。